HAPPY ENDING

私の日記です

2025年7月6日日曜日 チョンダムズ

なかしましほさんがポストしていたビビン麺を昼に作った。美味い。家にあるもので簡単にできてこんなにも美味しいとは。

編み物に熱中。

買い物に行くのが面倒で、夜は有り合わせの材料でカレーにした。

バイト仲間からLINEがあり、検査の結果、旦那さんは癌ではなかったとのこと。よかった!

インスタのスンミンのポストとバンチャンのリプライが良すぎて涙。今までケミってあまり気にしたことがなくて単純にバンチャンとスンミンが2大推しだっただけなんだけど、もしかしてチョンダムズというこのケミ、すごく尊いのでは…。

2025年7月5日土曜日 幸せだと感じていてね

2週間くらい前は明け方に目が覚めたりして何故かよく眠れない日々が続いていたのに、最近はぐっすり。

スンミンに遭遇する夢を見た。

夫がお寿司を食べたいというのでいつも通りオアゾ根室花まるへ。そのあと暑かったけど日本橋まで歩いて、三越でバイト仲間に配る用のお菓子を調達した。

夜アップされたSKZ-RECORD、歌詞が辛すぎる。アイドルをどこまで作られたものとして見るか問題もあるとは思うし、見せられているものを間に受けすぎて簡単に泣いたりするのも嫌だけど、どう考えてもバンチャンの本音でしかなく、あのような気持ちがあるとしてもバンチャンが今幸せだと感じていてほしいと強く思います。

2025年7月4日金曜日 解散会

話が噛み合わなくて苦手意識のあるバイト仲間と久しぶりに共同作業をしたら、話は噛み合ったしストレスもなかった。

職場の組織改変により私たちアルバイトは辞める人、残る人、異動する人と3通りの道に進むことになるため、解散会ということで飲み会が開かれた。こういう飲み会に参加するのは数年ぶりだった。薬を飲んでいたからノンアルで済ませたけどすごく楽しかった!

開会の挨拶(?)で、20年以上勤めた先輩が「ここで過ごした時間は自分にとって宝物みたいな気がします」と言ったのがグッときた。

一次会の後、カフェに移動してさらにおしゃべりをしてから帰宅。駅まで夫が迎えにきてくれた。

来週から新しい環境になるのが不安。何より、通勤時間が長くなるのが不安。

2025年7月3日木曜日 他人事ではない

先月末にバイト先のオフィス内でレイアウト変更があったので、今日久しぶりに行くとだいぶ雰囲気が変わっていた。そして仕事がものすごくやりにくい。導線が悪すぎる。ま、私は10日から別の職場に異動するのでほぼ無関係ですが。

仲の良いバイト仲間の旦那さんが健康診断で引っかかり、癌の疑いがあるらしい。他人事とは思えない。心配しつつ重くなりすぎないように励ました。検査の結果が出るまでは考えても仕方ないけど、考えちゃうんだよね。大丈夫でありますように。

母が癌だとわかったときに友達からかけてもらって嬉しかった言葉やありがたかった態度、助けられたことを思い出して、今度は私が助ける番になるかもしれないと思った。

2025年7月2日水曜日 つかれ

旅行の疲れが。

洗濯機を2回回して、夕方スーパーに行った以外、ラジオを聴きながらスマホでゲームをして過ごした。それ以外何もできない感じだった。

夜はカレーを作った。

金沢で買った急須で加賀棒茶を淹れて飲んでいる。美味しい。あと、氷室まんじゅうを食べました。

2025年7月1日火曜日 間に合ってよかった

夜中2時に目が覚めてトイレに行くと、同じく目を覚ましていた母が唐突に「家のWi-Fiが繋がらなくてギガを使い果たした」みたいな話を昼間のようなテンションでしてきて、完全に目が冴えてしまったせいで2人とも4時まで眠れなかった。

その後、やっと寝て6時に起床。眠いよ〜。

朝ごはんのビュッフェが豪華で、もっと食べられる人でありたかった。

今朝も胸がぞわぞわする日で、最初、寝不足の母は「もうこのままホテルで過ごしてお土産だけ買って帰ってもいい」とか言っていたから「賛成」と思っていたのに、9時過ぎに突然「早く出かけよう」と言われてしまい、薬がまだ効かず胸がぞわぞわする状態のままホテルを出発。

兼六園に向かうバスの中で少しずつぞわぞわが治ったのに、兼六園に着くと暑さでまた不安に苛まれた。ここ、暑い時期に来るところじゃなくない…?母も同じ気持ちだったらしく、ものの10分で兼六園を出て、21世紀美術館へ移動することになった。

現代美術に興味のない母VSわからないながらもじっくり見たい私。元はと言えば私が21世紀美術館に行きたいと言って金沢旅行が決まったのに、なんとなく急かされる気分のまま鑑賞することになってしまった。

カフェでゆっくり休んだり、目の前の石浦神社をお参りしたりしたあと、お腹が減ったなと思って時計を見ると11時半だったが、実際は14時を回っていた。腕時計を巻くのを忘れていたのだった。帰りの新幹線は14:48。焦った。

大慌てでタクシーを拾って駅まで戻った。結果、お土産とお弁当を買ってもまだ時間には余裕があったが、本当に焦った。

何度か時計を見るタイミングがあったのに、その度に私は現代美術の一環で狂った時間を表示していると思ったのだった。何の疑問もなく、自分の腕時計が正しいと思っていた。腕時計はずっと11時半から動いていなかったというのに。

間に合ってよかったと母と笑い合って、柿の葉寿司を食べながら帰った。

楽しい旅だった。母と喧嘩もせず楽しく旅行ができて、嬉しかった。母の体が動くうちに、またどこかに行きたい。

2025年6月30日月曜日 金沢へ

母と金沢旅行。

朝起きたら胸がぞわぞわしていたので心配だったけど、薬を2粒飲んで出発。

いつも通りの元気いっぱいの母の姿を新幹線のホームで見つけたときすごくホッとした。治療の副作用で浮腫んでいた母の顔はすっかり元に戻っていた。

母は興味の有無がハッキリしているし、気分で動くので笑ってしまう。九谷焼のお店には飽きるほど長居するのに、近江町市場は「昔と違う」と一蹴。お寺や神社には行きたがるけど、手を合わせるのは一瞬(私は願い事はしないから、とのこと)。一度ホテルの部屋に入れば「もう無理して外に出なくてもいいか」。かと思えば「美味しい回転寿司が食べたい。駅のお土産が見たい」。和菓子のお店は1軒ずつくまなくチェックして、気になるお菓子はバラで買って食べてみたりもしていた。

母は9時には寝てしまった。私はホテルのカフェでテイクアウトしたケーキを食べたあと、ゆっくり入浴して、10時すぎに就寝。

暑すぎて観光らしい観光はしていないけど、九谷焼の可愛い急須が買えたこと、美味しいお肉、美味しいお寿司が食べられたことが今日の収穫だった。炎天下を歩いたせいでパニックになりかけた場面が1度だけあったけど、何とか乗り越えられてよかった。